HOME


『虹の番人』 = 『ミルフィーユ * de noir』 + 『ミルフィーユ * de blanc』


スーの場合。


その1++その2++その3++その4++その5++その6



□□□


私が初めて目を開けたら、そこはとても眩しくて、光以外にはまだ何も見えなかった。でもその光は、安らかで清らかで、とても心地よい。
その光にまだ目が慣れぬ内に、ぼんやりとした2つの影が私を抱き上げ、私はその2つの影によって暖かな何かにゆったりと包み込まれ、そこはとても居心地が良かった。

私が生まれた日の記憶。

私は仕事を終えると時々ここへやってくる。
生まれた時の、あの他に例えようのない感動を思い出すために。
私が生まれた場所。
私は、今は枯れてしまっているこの花から生まれた。

私を2つの腕で抱き上げ、その腕に抱いてくれたのは、イーノの先代さんだ。
彼は虹の番人としての仕事の一切を私に教えてくれた。

虹の送り方、空気の見方、星との会話。
何曜日に何色の虹を飲めばいいのか。

私が一番初めに口にしたのは黄色の虹。
ちょっと甘酸っぱくて、でもまだ生まれたばかりの私にはピリリとした刺激が強かった。

2度目に目が覚めた時、イーノの先代さん、つまり私の最初のパートナーは、私の部屋の扉の向こうからやってきた。
そしてこの部屋の空気をいっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出しながら言った。
「君の名前は?」
「スー」

何も判らなかった昨日と比べて、今日の私は色々なことを知っている気がする。
「あなたの名前は?」
「オーク」
昨日より少し縮んだように見える。

それから一週間、彼は毎朝扉を開けて私を迎えに来てくれて、そしてその間、どんどん縮んでいった。

一週間後、改めて周りの景色と彼と自分を見比べて、彼が縮んだのではなく、自分が大きくなっていたのだと知った。


□□□


その日、彼は私の手を引きながら言った。
「スー、明日からは一人でこの扉から出ておいで。僕は向こうの部屋で待っているから」

そう言って振り返ったオークは少し元気がなくて、それでいて何だかしっかりしていたけれど、彼の目は私じゃなくて、私の背後にあるこの部屋を見ていた。

「オーク?」
彼はしばらくこの部屋を眺めた後、向き直り、私の前に立って扉を開けた。
その背中は、やっぱり昨日より小さく見えた。

オークと一緒に仕事をして、私はどんどん成長していった。
それが判ったのは、彼が毎日新しいものと出会わせてくれたから。

私が目覚めて、彼が抱き上げてくれてから、しばらくの時が流れた。
私は彼と一緒にいるのがとても楽しかったし、とても誇らしかった。

私がオークと過ごしている間、どんどん人間界は変わっていった。
人の数も、機械の数もどんどん増えていった。
空の色もどんどん濁っていった。
そして、私はそれに気づいていなかった。
気づかせてくれたのはオークだった。

ずっとむこうの方にあった三つ子の山。
前は見えたのに、今は灰色の雲が邪魔して見えなくなった。

三つ子の山の姿がどんどんかすれていってた頃、私はオークに聴いた。
「三つ子の山は動いているの?」と。
だって空気が汚れてきているなんて、その頃は思いもよらなかったんだもの。
そしたらオークはこう答えたの。
「新しいものがいつか古くなるように、全てのものは変化するんだよ」と。

最初はよく判らなくて「ふぅん」と答えたら、
「スーだって、いつだったか新しく作った洋服、しばらく経って古くなったからって取り替えちゃっただろう?」と言った。
「三つ子の山も着替えるの?」
私がそう言うと、彼は驚いたような顔をして、それから笑ってこう言った。
「そうだね。山も着替えるよ。山がまとっているのは木の葉だろう?山は毎年木の葉を着替えるんだよ」
「着替えるためにどこかに行っちゃったの?」
「山はどこにも行かないよ。ちゃんといつもそこにいる。ほら、これを使って観てごらん」
私は差し出されたいつもの仕事道具の望遠鏡をのぞいた。
確かに三つ子の山はいつもの場所にあった。
この望遠鏡は、距離など問題にしない。

「山が見えなくなったのは、別のものが変わってしまったからなんだよ」
「何が変わったの?」
「何だと思う?」

彼はいつもこうやって私に自分で考えさせる。

「判らないけど、空の色が変わってきたのは関係ある?」
私がそう言うと、彼は目を細めて笑って言った。
「最近のスーはすごいね。僕がいなくてももう大丈夫なんじゃないかい?」
その言葉に私はすっかり嬉しくなってしまったけれど、彼にいなくなられたらとても淋しい。
それに、私が彼の質問に答えられるのは、彼が導いてくれるからだ。
「オークがいなくなったら虹が送れないよ」
「そうだった、そうだった」
彼は笑っていたけれど、私が思っているほど虹おくりを彼が楽しんでいないの位は私にも判っていた。





「何が変わってしまったの?」
「人間界だよ」
「人間界が変わると山は見えなくなるの?」
「そうだね」
「何で?」
「人間界はどんなところが変わったと思う?」
「ええと、人間の数とか?」
「それもあるね。他には?」
「…キカイとか」
「それは何を吐き出してる?」
「灰色の雲」
「そうだね。でもあれが雲なら、いつかは晴れる。空には雲がたくさん出来るだろう?だけどあれは雲じゃないんだよ。
だから空も困ってしまっている。そのせいで遠くの山が見えなくなってきているんだよ」
「灰色のせいで空が困ってるから山が見えないの?」
「そう。あの灰色はケムリって言うんだよ。ケムリはあまり良くないものなんだ。空にも、僕たちにも、もちろん人間たちにも」
「人間たちがつくってるのに?」
「そうだよ」
「何で良くないものをつくるんだろう。いいとこあるの?」
「ケムリはよくなくても、それを吐き出す機械にはいいところがたくさんあるようだよ」
「そうなんだ。どんないいとこがあるんだろう。でも良くないばっかりじゃなくて良かった!」
「…そうだね」
「ケムリはいつになったら晴れるの?」
「いつだろうね。ケムリは空に舞い上がって、ゆっくりと地上に落ちていくんだけど、次から次と機械が吐き出しているから、もう晴れることはないかもしれないね」
「そんなの困る!」
「そうだね」
「どうにかできないの?わたし、やるよ!どうすればいいの?」
「どうしたらいいんだろうね。僕にも判らないんだよ」
「オークにも判らないことがあるの?」
「そうだよ。きっといつか、スーの方が物知りになる日も来るかも知れないね」
「そうなの?それってすごい!ほんとにそんな日が来るといいな。そしたらオークにもいっぱい教えてあげるよ」
「ありがとう」

その頃の私には判らなかったけれど、どうしたらいいのか判らないと言いながら、オークはケムリをどうにかするために身体を張って頑張っていたようだ。
方法は判らないけれど。
彼の肌の色はどんどん変わっていった。

「そうだ!キカイをなくしちゃえばいいんじゃない?」
私は自分の思いつきに興奮した。けれどオークは首を振ったの。
「人間たちには必要なものなんだよ」
「でも!…そうだよね」
「スー。そんなことを考えなくても、僕たちの仕事はなんだっけ?」
「あの扉の向こうの虹の源泉を守ること」
「それから?」
「虹を送ること」
「虹を送るとどんなことが起こるんだっけ?」
「そっか!元気をあげるんだ!」
「そうだね」
「空に元気をあげてるんだ!」
「僕たちに出来るのは、必要とされたら、虹を送って元気にしてあげること。出来ることはやっているんじゃないかな」
「うん!」

こうしてオークは私の説得に成功し、私にやる気を起こさせた。
こんな才能、私は持ち合わせていただろうか。
イーノに対して、いつもいつも怒ってばっかりだ。
オークだったらって、イーノと喧嘩した後は必ず思う。





三つ子の山たちがすっかり見えなくなってしまうまでに、もうしばらくの時間がかかった。
その間に、またどんどん人間界は変わっていって、空はどんどん汚れてきていた。
でももう、昔の空の色なんて、覚えてないや。

相変わらず、水曜日の黄色の虹は、いつまでたっても甘酸っぱくて、そしてピリリと目の奥が苦く感じた。

ある時から、オークは少しずつ元気をなくしていった。
前はいっぱいお話をしてくれたのに、最近はそうでもない。
どうしちゃったんだろう。
そう思い始めて、人間が人間を生み、その人間がまた人間を生むくらいの時間が経ってから、彼はぽつりと言った。

「もうそろそろかな」

私は訳が判らず、目で彼に問いかけていたけれど、彼は何にも答えなかった。
その日仕事を終えた夜、どうしても気になって私は彼の部屋へと行った。
そこに彼の姿はなかった。

どこに行っちゃったの?オーク。

とても不安になって私は自分の部屋へと逃げ帰った。
どうしたらいいんだろう。
何も考えは浮かばなかった。
ただ不安で、すがりたかった。
オークに。
でも当のオークがいない。
「そろそろかな」ってどういう意味なの?

ただ漠然とした不安な気持ちを抱えたまま、それでも夜は終わりを告げて、世界は朝を迎えた。

仕事場へ行くと、そこにはいつもと同じようにオークがいた。
ああ、良かった。
ちゃんとオークはいるじゃない。
不安になるなんて、彼に失礼だわ。

「おはよう!」
「おはよう」

その日もたくさんの虹を送った。
世界は元気になっていく。





そして日が暮れてきて、私たちが一日の仕事を終えようとしていたとき、彼は言った。
「スー。今日、スーの部屋へ行ってもいいかな」
これには驚いた。
オークが私の部屋に来たいと言い出すなんて、初めてのことだ。
「いいよ!」
「ありがとう」
「お礼を言われるなんて変な感じ」
「そうかな」

太陽が私たちの担当地区からいなくなると、私たちの仕事は終わり。

そしてオークが私の部屋にやってきた。

オークがこの部屋に入るなんて、どれくらいぶりなのかしら。
生まれたばかりの私を7日間、迎えに来てくれていた頃以来だ。
「あまり変わっていないね」
部屋に入って開口一番、彼はそう言った。
「ずっと昔のことなのに、覚えているの?」
「昨日のことのようだよ。特にスーが生まれた時のことは」
「そんなの照れちゃうよ」
「そうかい?」

私たちは何をするでもなく、ただ、そこにいた。

「そうだ!スズランの朝露のジュース飲む?朝の気配と蜜が混ざっておいしいよ!」
「ありがとう。頂くよ」
「それじゃちょっと待ってて」

オークと何でもない時を過ごすのもステキで、私はとっておきのジュースを振舞うことを思いついた。
きっと彼は気に入ってくれる。
早起きしたとき、スズランから滴り落ちる朝露がとてもおいしそうに思えて、ちょっぴり舐めてみて発見したの。
それ以来、毎朝ちょっとずつ貯めておいた。
披露するこれ以上ないチャンス。

ジュース2つを手に戻ってみると、オークは目を閉じていた。
胸が大きくゆっくりと上下している。
眠っちゃったのかな。
ジュース、とてもおいしいのに。

そっとしておこうかどうしようか迷って、そぅっと近寄って傍のテーブルにグラスを置いた。
コトン、と小さな音に反応して、オークは目を開けた。
「眠ってたんじゃないの?」
「いや」
「これ飲んでみて。すっごくおいしいよ」
「ありがとう」
「どう?」
「うん。とてもおいしいよ」
「でしょ!」
こういうときのオークの笑顔を見ると、嬉しすぎて私は小躍りしたくなる。
「大好き!大好き!オーク大好き!」
「急にどうしたんだい?」
「何でもないの!何だかすっごく嬉しくなっちゃっただけ!」
「ありがとう。そう言ってもらえるなんて僕こそとっても嬉しいよ」
どうしていきなりそんなことを言い出してしまったのか、自分でもよく判らなかった。
きっと興奮しすぎたんだろう。

「スー。今日はこの部屋にいてもいいかな」
彼は鼻息荒く興奮した私の頭をなでながらちょっと言いにくそうに言った。
「それって、それって一緒に寝ようってこと?」
鼻血直前だった。
「いや、いさせてくれるだけでいいよ」
「いいよいいよ!寝ようよ!オークが右側ね。私は左側。それとも逆がいい?」
「いや、本当にいいんだよ」
「何で?オークは眠くならないの?」
「…そうだね。今日は眠くならないかもしれない」
「そんなことないよ!眠くなるよ!こんなこと中々ないもん!一緒に寝ようよ!」
こんなに熱心に説き伏せる必要があったのかどうか判らないけれど、興奮状態にある私に歯止めはきかない。

「一緒に眠れるなんて、もう二度とないよ!」

私の、後になってみればこれ以上ないほどの悲しい言葉に、しばらく考えて、彼はようやく首を縦に振った。
「それじゃあ、今夜だけ」





その夜、一度彼は自分の部屋に戻って、そしてもう一度私の部屋にやってきた。
オークの寝巻き姿なんて、滅多に見られるもんじゃないわ。

「おやすみなさい」
「おやすみ」

その夜、きっと彼は自分で言っていた通り、一睡もしなかったのだろう。
ずっと規則正しい呼吸が聞こえていたけれど、多分、彼は寝ていない。
それでも、私のほうは呑気なもので、ぬくぬくと彼の体温を感じながら、やがてぐっすりと眠ってしまっていた。

次の朝、目が覚めたら彼はいなかった。
慌てて支度をして仕事場にいくと、オークはもうそこにいて、昨日の少しぼぅっとした感じはなくて、いつもよりずっと元気だった。
「おはよう!」
「おはよう。昨日は僕がいてもちゃんと眠れたかい?」
「うん!あったかくてぐっすり!」

それからまたしばらくの時が経って、私はオークの教えてくれた一通りの仕事をこなせるようになり、自分なりのやり方も考えられるようになった。
そしてある日、彼は仕事を終えた後で、私を自分の部屋へと呼んだ。

「見せたいものがあるんだよ」
そう言って案内された場所は、少し拓けている野原の真ん中だった。
線対称の座標。
向こうには、私の生まれた花がある。

「ここから生まれたの?」
今まで考えもしなかった。
私が生まれたときからオークはいたけれど、オークだって生まれた瞬間があったんだよね。
「そうだよ」
オークは優しくそう言った。
でも。
「なんでこの花はつぼみなの?」
私が生まれた花と決定的に違う。
私のは、つぼみなんかない。
それどころか、花びらはしおれて枯れてしまっている。
「もう一度、生むためだよ」
「何を?」
「僕らをだよ」
「でも私たち、もう生まれてるよ」
そして彼はにっこりと私を見た。
「いつか教えたね。新しいものがいつか古くなるように、全てのものは変化するんだと。僕にもその時が来たんだよ」
「でも、オークは古くなんかないよ!」
何が何だかさっぱりだった。
「スー。変化の時なんだよ。君は自分が生まれた時のことを覚えている?」
「もちろん!あの時は判らなかったけど、わたしのこと抱き上げてくれたのはオークでしょ!」
「そうだよ。覚えていてくれてありがとう。僕も、自分が生まれたときのことは今でも覚えている。その時に抱き上げてくれたのは、君の先代さんだったんだよ」
「オークはずっと最初からいたんじゃないの?」
「僕の最初は、僕が生まれた時。世界が生まれたのはもっとずっと前のことなんだよ。スーも覚えておいで。いつかこの時が来るから」
「この時って?」
「新しい命が、この花に宿る時だよ」
「じゃあ、誰かが生まれるの?」
「そうだよ」
「わーい!私、だっこしてもいい?」
「もちろん。君の役目だからね」

そう言ったオークの目は、どこか遠くを見ていた。
私の部屋のある方向。